“月よりの使者“は“蜂よりの使者”、となるか?
映画“月よりの使者“の舞台での療養は自分にとって何の意味だったのか?
その昔、俳優の園井啓介と桑野みゆきの主演で映画のロケが実施されたことがある。
その場所はその後も三浦友和と山口百恵のコンビで映画化された。
そのときも撮影はここだった。
幾多の物語を残したサナトリュウムも時代と共に新しい病院へと脱皮したが、
古い物語の舞台となった病棟は残されることが決まっている。
そこで考える時間をたっぷりと与えられ、何の意味だったのかを考えるのには
それほど時間は要しなかった。
“蜂よりの使者!”は私のところに来たわけではないが、何かと感じるものはあった。
もとより自分の目指すところと違うことを感じるわけも無いので、
当然のことながら研究活動の絞込みを促された形になった。
重点志向になっていくのは“年のせい”、と言ってしまえばそれまでだが、
今後の活動は重点的になるように蜂の使者は言っているようだった。
そして、もっと人の力を信じ、その力を借りるように促されたように感じ、
さらにまた、蜂の力を信じることも縷々、諭されたように思う。
重点課題の解決は北信流養蜂術の免許皆伝の後に来る、と考えるようになった。
私はまだ北信流の秘奥義のレベルにはない。
おそらく和尚は蜂の何たるかを体得している。蜂を見る目、蜂を扱う心が常人とは
まるで違う。その領域は自分が体現したことの無い領域であり、
一度は通過しなければならないだろう“壁”、なのだろう、とは入院中の夢うつつの
出来事記録にも乗っていた。
患者は技師だった“月よりの使者“の残したものと“蜂よりの使者“がくれたものが
ごっちゃになり、何かひとつを成せと言った事は確かなようである。(^^;
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